手にあるもの

くらしのしるし

財布を落とした話

日曜日の真夜中。

離れて暮らす娘から連絡が来た。どうも財布を落としたらしい。

財布の中には現金はもちろん、銀行のカードや健康保険証、学生証等が入っていたという。

 

重要なものをまとめて財布に入れてはいけないと、あれほど言い聞かせておいたにもかかわらず「どうしても面倒で」財布ひとつに全て入れていたようだ。

 

記憶を辿ってみても落とした場所の見当がつかないというので、とにかく行った場所全部の施設や駅や警察署に聞くしかないねということになった。あなたは施設に入らなくても、その近くで落としていれば拾ってくれた方が施設に届けるかもしれないから、と。見つからなければ警察署で遺失届を出して、銀行にも学校にも連絡しなさいと教えた。ちゃんと朝いちばんに行きなさいよ!と少し脅してもみた。

 

脅しの効力なく、結局はお昼頃に家を出たらしい。心配なあまりよく眠れず朝になってから眠ってしまった、と言うけれどいやいやそれは「呑気」って言うんじゃないの?

問い合わせた施設にも駅にもなかった。たぶん警察にも届いていないだろう…という気持ちになり、遺失届を出すつもりで警察署に向かったらしい。健康保険証のこと、銀行への連絡、カード再発行手続き等に必要な書類を準備する手筈を考えながら。

 

結果、警察署に届いていました。財布も中身もすべてそのままの状態で。現金もきちんと入っていたと。きっと道で落としてしまい、それを見つけた親切な方が警察へ届けてくださったのだろうと思う。娘が歩いた場所と警察署は少し離れているので、もしかしたらわざわざ警察署まで届けに出向いてくださったのかもしれない。財布の中を見れば学生であるのも分かっただろうし、気の毒に思って時間を使ってくださったのかもしれない。

 

現代の都会で、忙しい時間の合間を使ってわざわざ見ず知らずの人間のために動いてくださったこと、これは本当の親切だなあとありがたい気持ちでいっぱいになった。大げさかもしれないけれど、離れて暮らす娘の今日一日が親の見えないところで守られたような、そんな感謝と嬉しさがぐっとわいてきた。

 

届けてくださった方、ありがとうございました。母娘共々、お礼申し上げます。

 

もちろん娘にはキツく注意をした。

財布をなくして困った経験以上の学びはないのだから今後は気を付けるだろうと思っているし、親切に感謝したその気持ちを今度は誰かのために使ってくれるだろうとも期待している。

 

庭の落葉樹たち

家を建てて10年。

庭に植えた5本の落葉樹が見上げるほどに育った。

カツラ・ミズナラヤマボウシシナノキ・シャラ、どれも高木になるもの。

 

カツラは株立ちで、現在は我が家の2階と同じほどの高さ。数年前から「今年こそは剪定を」と思いながら手が回らず、ここまで大きく育ってしまった。

 

ミズナラは1本立ち。剪定で大きさを押さえているが、生命力が強くどんどん枝数を増やしていって枝も葉も密になるので冬ごとの枝落しが欠かせない。

 

シナノキ。植えてからの数年はあまり元気がなく枝葉の数も増えず、切り倒すことになるかも…と思いながら様子を見ていた。今ではすっかり見上げる高さに成長。6月頃に咲く白い小花は甘い良い香りがして、蜜蜂たちの蜜源となっている。

 

今年のヤマボウシはいつもより多くの花を咲かせてくれた。他のお宅で見かけるヤマボウシは葉が隠れるほど白い花を株いっぱいに咲かせているけれど、我が家は枝葉に隠れてひっそりと咲く程度の奥ゆかしさだった。10年目にして白い花いっぱいの木を見ることができた。

 

今年はシャラの木(ナツツバキ)も多くの蕾をつけている。一日花で、株いっぱいに咲き揃うというより株のどこかで毎日ぽつりぽつりと咲いている感じの咲き方だ。開花時期が梅雨と重なることもあって、花びらが雨を含んでいつも重たげに咲いているイメージがある。

 

この10年間は木が庭になじむための時間だったのかなと思う。急に輝いて見えはじめたのが去年。それまでどこか頼りなげだったのに、人でいう青年期のように生き生きとして、力強い頼もしさを感じるようになった。圧倒されるエネルギーだ。

 

 

 

記録をつけたい

50代。

忘れてしまうことが本当に多くなった、

日常のできごとも言葉も漢字も。

 

人生後半の暮らしの記録を残したい。

何を見て何を思って毎日をどう暮らしていたのか、数ヶ月数年先の自分のために書きしるしておきたい。

 

書くことで頭と心を片付けていきたいとも思う。